なぜ私たちは生きづらい?足りないのではなく、抱え過ぎているだけ。
「こんなお母さんでごめんね」
子どもの寝顔を見ながら、謝ったことのあるお母さんは私だけではないはず。
働いて帰ってからの時間の方が戦場で、子どもと向き合う余裕がない。料理なんていつも適当。子どもが「おかあさーん!」と呼んでも「ちょっと待って!」が口癖に。
1日1日を一生懸命生きている。できる限りのことはしている。でもふと立ち止まった時に、できていない自分ばかり見えて
「もっと頑張らなきゃ」
「お母さんとして失格だ」
と自分を追い詰めてしまう。
でも本当にそうでしょうか?
あなたはダメなお母さんでしょうか?
私はそうは思いません。
多くの母親が抱えているのは「不足」ではなく「過剰」。やらなければならないこと、守らなければならないルール、誰かの期待、社会が勝手に押し付けてくる”理想の母親像”。それらを抱え過ぎているからこそ、心も体も人生も重たくなってしまうのです。
そんな私も、いろんなものを抱え過ぎていた母親の1人でした。
元々は、自分の欲求に従って自由に生きてきた私。自分の人生は自分で決める。周りが反対しようが賛成しようが関係ない。だって私の人生だから。そう思って生きてきました。
ですが、母になった途端。
「母としての正解」を探し始めたのです。
仕事を辞めて、3歳までは家で育てなければ。
離乳食は出汁からとって、全て手作りしなければ。
毎日児童館に連れて行って、人見知りしない子に育てなければ。
私の人生は子ども中心。子どものためにやった方がいいことは全てやろう。だって、私がやらないことで、子どもの可能性が狭ばったらいけないから。そうすれば、周りからも「いいお母さんだね」って言われるよね。そんなことばかり考えていました。
息子が2歳になる前まで、私の頭の中は「〜しなければ」でいっぱいでした。そしてそのしなければならないことができないと自分を責め、いい母親からは程遠いと自分を責め、自信がなくなり、精神的に不安定になっていました。
ですが、今となってはわかります。
「私は足りないんじゃない。ただ、抱え過ぎていただけだった。」と。
余計な荷物を抱えて坂道を歩いていたら息切れするように、やらなければならないことを背負って生きていたら、必ず息切れします。反対に、余計なものをおろして、軽やかになれば、見える景色も、子どもの表情も、心のゆとりも変わってくる。
つまり、母親に必要なのは”足し算の努力”ではなく”引き算の勇気”。
その一歩を踏み出すことが、親子の毎日を軽やかに変えていきます。